2022年2月24日、ロシアは特別軍事作戦の名のもとにウクライナへと侵攻を開始した。『マリウポリの20日間』(20 Days in Mariupol、2023)はAP通信の記者であり、本作の監督でもあるミスティラフ・チェルノフがマリウポリにロシアが侵攻してから最初の20日間を記録したドキュメンタリー映画である。
〇日目というテロップが表示され、フェードアウトでその日付が進むたびに状況は悪化する。同時に映画内に漂う低くローテンポの音楽がその恐怖を増幅させる。画面の暗転の後に画面に映されるのは朝日ではなく、ミサイルによって破壊された建物や爆発音であるように、観客は日数の経過をテロップからしか得ることができない。見ている者の時間感覚を失わさせるのが、この映画の恐ろしさであり、普段私たちが享受している日常が戦争によって奪われようとしている。"This is painfull"という劇中の言葉が映画館を出た後も重くのしかかる。加えて、世界のテレビメディアが流される中で数秒映る日本のテレビには、特異さのようなものも感じた。
社会奉仕活動に勤しむ母親と日々自分の音楽を動画配信サイトで世界に発信する息子の間に生まれる親子のすれ違いを描いた『僕らの世界が交わるまで』(ジェシー・アイゼンバーグ、2022)。原題は“When You Finish Save The World” (直訳:あなたが世界を救い終わるとき)であるが、このタイトルは母親と息子のどちらの目線で映画を見たかで解釈が変わってくる。本レビューでは母親の目線からこのタイトルについて紐解いてみようと思う。
この映画は親子喧嘩の末に2人がどうなったのかをはっきりと描かず、エヴリンがジギーの動画を眺める様子で幕を閉じる。邦題は『僕らの世界が交わるまで』になっているが、2人の世界はいつ交わったのだろうか。2人しか乗れない小さな車をエヴリンにとっての親子水入らずで対話をできる唯一の空間だとすると、彼女は自分に悩むジギーを人生の目的地へと送り届けられなかったことに負い目を感じていたのかもしれない。そう考えると、本作で口論以後映される誰もいない助手席は、エヴリンが“When You Finish Save The World”(あなたが世界を救い終わるとき)まで隣を空けて待っている。道に迷ったらいつでも相談に乗るというエヴリンがジギーに向けた思いの表れなのだと筆者は考える。